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ミラクル
エリザベス・ヒューズとインスリン発見の物語

ミラクル エリザベス・ヒューズとインスリン発見の物語
発行日
2013年2月12日発行
定価
本体1,800円+税
著者
シア・クーパー / アーサー・アインスバーグ
監修
門脇 孝
(日本糖尿病学会理事長/東京大学医学部附属病院病院長)
綱場 一成
判型
四六判 432頁
商品番号
213280
ISBN
978-4-931400-68-9

内容紹介

エリザベス・ヒューズが若年性糖尿病と診断されたのは1919年のことでした。エリザベスは、アメリカで最も有名な弁護士で、後に国務長官を務めた政治家でもあるチャールズ・エヴァンズ・ヒューズの娘でした。当時、糖尿病という診断は死の宣告を意味していました。唯一の“治療法”だった飢餓療法を受けたエリザベスは体重が20kgに減って骨と皮になってしまったのです。ちょうどそのころ、遠く離れたカナダでは、フレデリック・バンティングとチャールズ・ベストの2人の若い研究者が、何とか動物の膵臓からインスリンを単離精製することに成功しました。だが、このミラクル(奇跡)も、学問的な嫉妬、熾烈な事業化の競争にもみくちゃに翻弄されることになります。破壊的な病気との時間を争う闘いの中で、エリザベスは世界で最初にインスリン注射を受ける糖尿病患者の一人になりました。一方で、インスリンの発見者たちとある製薬会社は世界中にインスリンを供給できるようにするために必死に奮闘していました。

これまで語られることがなかった、インスリン発見をめぐる感動ノンフィクション。著者のT. クーパーとA. アインスバーグは、周到な調査と取材を重ねて、細部まで描き出したのです。

目次

第1章 クライスト・チャーチ・クランブルック、ミシガン州ブルームフィールドヒルズ、1981年

第2章 5番街、ニューヨーク、1919年4月

第3章 チャールズ・エヴァンズ・ヒューズ家の朝食室、ニューヨーク、1919年4月

第4章 チャールズ・エヴァンズ・ヒューズの家の書斎、ニューヨーク、1919年4月

第5章 ニューヨーク、1919年4月、その午後遅く

第6章 カナダ トロントとフランス カンブレー、1917〜1918年

第7章 戦争、平和、そして政治、1914〜1918年

第8章 グレンフォールズ、ニューヨーク、1920年4月

第9章 自然療法研究所の構想、1920年5月

第10章 オンタリオ州ロンドンのバンティングの家、1920年10月30日

第11章 トロントへの急襲、1920年10月〜1921年4月

第12章 大統領選の駆け引き、1916年と1920年

第13章 自然療法研究所、モリスタウン、ニュージャージー州、1921年

第14章 トロント大学、1921年夏

第15章 ワシントンDC、ニューヨーク州ボルトン、1921年3月〜9月

第16章 ワシントン会議、1921年11月12日〜1922年2月6日

第17章 自然療法研究所、ニュージャージー州モリスタウン、1921年11月

第18章 トロント大学、1921年9月〜12月

第19章 アメリカの十字路、インディアナ州インディアナポリス、1919〜1921年

第20章 アメリカ生理学会、コネチカット州ニューヘブン、1921年12月28日〜30日

第21章 成功と失敗、トロント大学、1922年1月

第22章 失敗と成功、トロント大学、1922年2月〜4月

第23章 ハネムーン・コテージ、ハミルトン、バミューダ、1922年1月〜7月

第24章 特許、パートナーシップ、膵臓、インディアナポリスとトロント、1922年4月〜8月

第25章 名声と品不足、1922年夏

第26章 4つのトランク、ワシントンDC、1922年8月

第27章 モリスタウンからの脱出、1922年8月

第28章 好転の始まり、トロント、1922年8月〜11月

第29章 SSパン・アメリカ号で国境を越える、1922年8月〜9月

第30章 運命、富、忘却、1922年9月〜12月

第31章 ノーベル賞とその後

第32章 エリザベス・ゴセットの出現

あとがき インスリンその後と糖尿病の現在

 

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